アドラーとモンテッソーリ
どちらも1870年生まれ。子供を見る思想にも共通点が多い。二人に関連はあるのだろうか?
「自然の結末」の利用して躾ける
今朝幼稚園に出発する時間になってもおままごと遊びを続けていた娘。
内心ひやひやしながら努めて冷静を装いつつ明るく毅然と声をかける。
「もう20分だよ」「もう30分だよ」なかなか準備しない。
(ちなみに30分に出発する時間だということは娘は理解している。)
「パパもう先に行くよ」ようやく下に降りてきた。
「歯磨きしてきな」はみがきも随分時間かかる。
「先に行くよ。」ぎぎぎとドアを開ける。
「やだ、まってー」と泣き叫ぶ。
「パパと一緒に行くなら急いで準備しようね。」
ようやく出発。既に40分すぎ。
近くの神社(ピックアップ場所)までひたすら走る。娘が遅れてもペースを落とさず。
時々止まって後ろを振り返り、明るい声で励ます。
なんとかバスに間に合う時間に到着。
「なんとか間に合ったね!」
娘、ちょっと茫然とした感じだった。
この体験から「準備に遅れるとずっと走らなきゃいけなくなる。」という自然の結末を学んでくれただろうか?
良い機会だったので試してみた。
※このケースでは間違っても「準備が遅くなっちゃったからたくさん走らなければいけなかったね」などと言ってはいけない。それは自分で理解することだし、親にそう言われると、自然の結末が「罰」に変化してしまう可能性だってあるのだ。
子供の好ましくない行動を見たら「勇気づけのチャンス!」と思っているとなんか楽しいかもしれない♪
不完全であることの勇気
子供に完璧を求めてはいけません。些細な間違いには目をつぶり、長所に注目するのです。子供は注目された行動をより多くとるようになるので良い部分に注目するのはとても大事なこと。
私たちが子供の誤りを最小限に評価し、自分の長所に目を向けさせれば、彼らは勇気を維持し、もっと楽に学習することができるようになるでしょう。「間違いをおかしたら、どうすればいいか」という問題を考えることによって子供は前進し、勇気をふるい起こすようになるのです。
どんなときに叱ってどんなときに叱る必要がないのか?
byアドラー式言葉かけ練習帳
どんなときに叱ってどんなときだったら叱る必要がないのか?
とてもシンプルなルールが書いてありました。
叱るポイントは2つ。
・人の心や体を傷つけたとき
・社会のルールを破ってまわりに迷惑かけたとき
とてもシンプルな指針で実践しやすそう。
行動の結果を評価する言葉は勇気づけにならない?
凄いね! 上手にできたね!
こういう言葉を勇気づけと思ってよく使っていました。
ほめと勇気づけの違いとして
「人格を褒めずに行動を褒める」
とどこかに書いてあってなるほどと思っていました。
しかし大きな間違いに気づいたのです。
行動の結果を評価する言葉は勇気づけにならないかもしれないと。
結果を評価する言葉を受け続けると、完璧な結果を求め過ぎて挫折(勇気がくじかれる)してしまう可能性があるとのことです。
ではどうすればいいのか?
「行動の姿勢に共感する」
あなたが楽しそうでパパも嬉しい。
あなたが1人で頑張っていて頼もしく思うよ。
この姿勢が最強の勇気づけなのではないかと気づいた次第です。
まとめ:
・最悪 人格を褒める
偉い子ね!
なんていい子なの!
効果:褒められないとやれない子になる
・いまいち 行動の結果を評価する
上手にできたね!
素敵じゃない!
効果:理想の高すぎる子には逆効果かも!?
・最高 行動の姿勢に共感する
あなたが楽しそうでパパも嬉しい。
あなたが1人で頑張っていて頼もしく思うよ。
効果:失敗を恐れず、結果を気にせず、やり遂げる勇気を持った子になる
もちろん勇気づけにはきっちりとした答えや明確な規則というものはありません。子供の性格などによっても違ってくるでしょう。そんな手探りの中でも「行動の姿勢に共感する」という見方はかなり有効な気がします。日ごろからそういう見方をしてあげることで本心から共感してあげられるようになりたいと思います。