勇気づけメモ
失敗は学習のチャンス
もう一度やってみたら?
批判は欠点を助長するだけ
一緒に原因や解決策を考えよう
行為と行為者を区別しよう
いつも泣いてるからといって「泣き虫」ではない。注意散漫だからといって「おっちょこちょい」ではない。ラベル貼りをしたら益々そうなっちゃう。
うちの子、野菜を食べないのだけど、「野菜嫌い」とレッテル貼ってはいけないな。
恐らく、毎日食べないとわかっていても少しでもいいからお皿に盛りつけて出して、だけど食べる?とか食べたら?とか一切言わず、さらっとしておくのがいいんだと思う。そうしたらいつか食べるようになるかも。
これは妻と話し合ってみないといけないな。
子供の「誤った目標」への対処
子供は本能的に所属感を求めています。自分が家族の一員、社会の一員であるという認識を(無意識にうちに)持ちたいのです。
所属感が欠如すると自分に注目してもらえるように(無意識のうちに)「誤った目標」を持ちます。ドライカースの「勇気づけて躾ける」では4つの誤った目標について述べられています。
過度の注目願望
権力への抵抗
復讐
無能・無力さの誇示
誤った目標のための行動に親がリアクションすると子供は目標を達成してしまうのでそれをやめないのです。
この問題への対処方法は概ね「注目しない」。
そしてよい行動にたくさん注意を払ってあげることでだんだん所属感が満たされ、誤った目標を持たなくなります。
アドラーとモンテッソーリ
どちらも1870年生まれ。子供を見る思想にも共通点が多い。二人に関連はあるのだろうか?
「自然の結末」の利用して躾ける
今朝幼稚園に出発する時間になってもおままごと遊びを続けていた娘。
内心ひやひやしながら努めて冷静を装いつつ明るく毅然と声をかける。
「もう20分だよ」「もう30分だよ」なかなか準備しない。
(ちなみに30分に出発する時間だということは娘は理解している。)
「パパもう先に行くよ」ようやく下に降りてきた。
「歯磨きしてきな」はみがきも随分時間かかる。
「先に行くよ。」ぎぎぎとドアを開ける。
「やだ、まってー」と泣き叫ぶ。
「パパと一緒に行くなら急いで準備しようね。」
ようやく出発。既に40分すぎ。
近くの神社(ピックアップ場所)までひたすら走る。娘が遅れてもペースを落とさず。
時々止まって後ろを振り返り、明るい声で励ます。
なんとかバスに間に合う時間に到着。
「なんとか間に合ったね!」
娘、ちょっと茫然とした感じだった。
この体験から「準備に遅れるとずっと走らなきゃいけなくなる。」という自然の結末を学んでくれただろうか?
良い機会だったので試してみた。
※このケースでは間違っても「準備が遅くなっちゃったからたくさん走らなければいけなかったね」などと言ってはいけない。それは自分で理解することだし、親にそう言われると、自然の結末が「罰」に変化してしまう可能性だってあるのだ。
子供の好ましくない行動を見たら「勇気づけのチャンス!」と思っているとなんか楽しいかもしれない♪
不完全であることの勇気
子供に完璧を求めてはいけません。些細な間違いには目をつぶり、長所に注目するのです。子供は注目された行動をより多くとるようになるので良い部分に注目するのはとても大事なこと。
私たちが子供の誤りを最小限に評価し、自分の長所に目を向けさせれば、彼らは勇気を維持し、もっと楽に学習することができるようになるでしょう。「間違いをおかしたら、どうすればいいか」という問題を考えることによって子供は前進し、勇気をふるい起こすようになるのです。
どんなときに叱ってどんなときに叱る必要がないのか?
byアドラー式言葉かけ練習帳
どんなときに叱ってどんなときだったら叱る必要がないのか?
とてもシンプルなルールが書いてありました。
叱るポイントは2つ。
・人の心や体を傷つけたとき
・社会のルールを破ってまわりに迷惑かけたとき
とてもシンプルな指針で実践しやすそう。